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地球は暴走温室効果の瀬戸際

地球は暴走温室効果の瀬戸際

一章 人類の誕生進化発展とエネルギー

一章 人類の誕生進化発展とエネルギー

人類の進化

現在から六千五百万年前の白亜紀にメキシコのユカタン半島の先端に、直径が十キロ程度の微惑星が秒速二十キロの速度で激突し、深さが二十キロ以上で直径百八十キロに及ぶクレーターが瞬時に生まれた。その時の吹き飛ばされた大量の地殻や微惑星の破片が宇宙空間に飛び出し、それが再び流星雨となって地表にふりそそぎ全地球的な規模で火災が発生した。その時吹き上げられた煤や微細な粉塵やガスは成層圏に滞留し太陽光線を遮り地表は昼間でも真っ暗になり、気温は氷点下数十度まで低下しただろう。

この様な状態が二年は続いたと考えられている。この段階まで大型の動物はかなりの割合で生命が絶滅したのは確かだろう。その後に粉塵が地上に降下し太陽の光が戻ってもそれだけでは済まなかった。

火災による炭酸ガスの温室効果によって気温は、衝突以前よりかなり高くなっただろう。さらに衝突の時に発生した二酸化窒素等の有害ガスによってオゾン層は消滅し、全ての生命に有害な紫外線が直接地上に降り注ぐ事になり、生き残った生命にも壊滅的な打撃を与える事になった。この衝突の影響は生態系の劇的な変化や気候など様々方面に数万年から数十万年にわたって影響を与えただろう。

なそのため恐竜等の大型の爬虫類はは全て絶滅し、その時この地球に存在した全生物種の七十五%がその後の数十万年の間に絶滅している。この地球の支配者であった恐竜の突発的な絶滅によって、それまでは最大でも猫ほどの大きさでしかなかった哺乳類が、急速な進化と適応放散を開始し、短い期間で恐竜が占めていた生態的地位を、哺乳類が占めるに至った。それまでにいたる大進化の段階で何段階かに分けて考える事が出来るだろう。衝突直後の一時的な個体数の減少から環境への適応と、競争相手や天敵がいなくなったために急速に個体数が増大したような時期、そして個体数の増大によって仲間同士の競争が起きあるものは肉食、あるものは菜食、あるものは食虫食など、種の分化が進んでいっただろう。その分化が始まる段階で、心における進化が始めに起こり、そこではおそらく百匹目の猿の現象が起こっただろう。それから分化的な進化の段階への移行し、それがやがて肉体的な進化の段階に移行して行き、種の分化が始まったと私は考えている。

多くの哺乳類が急速な分化と進化を開始しはじめた時期には、まだその時に大きさはネズミ程の大きさの食虫類の一種から、原始的な霊長類が誕生しそれが原猿類から広鼻猿や、現存の猿の祖先である狭鼻猿へと進化し、それが人類やチンパンジーやゴリラ等の共通の祖先である類人猿へと進化したのでした。

その後も人類に繋がる系統の類人猿は進化を続けて、六百万年から四百万年前の東アフリカにおいて哺乳類の進化の最後の段階で、東アフリカの大地が隆起を始めそれに伴って乾燥化しサバンナ気候になった。ゴリラやチンパンジー等の類人猿との生存競争に敗れた人類の祖先は森林からサバンナに進出せざるを得なかったのだろう。最初は一人と言うべきか一頭と言うべきか、勇気の有る若い雌の心の中に起こった一瞬の閃きがその出発点なり、その行動はその群全体に波及し、そうして百匹目の猿の現象が起こり、東アフリカの広い範囲において我々の祖先が二足歩行を始めたのではないだろうか。

この最初の二足歩行の能力は文化的なもので敵や食物を早く発見する必要からかなり無理をしながら二足歩行で歩いていたが、それからそれほど長い時を必要とせず、体の形態を変化させただろう事は、人が家畜化した犬や等の例の様に十分可能だっただろう。

文化的なものから完全な二足歩行への移行を終えた人類の祖先はそれまで存在しなかった、人類化という生態的な道を歩む事になった。


この時チンパンジーやゴリラ等の類人猿から分化し人類が誕生する事になったといえる。その後も人類は急速な進化を続けて、初期の人類の脳容積は他の類人猿と同じ程度だったのが、百五十万年程度の短い期間で脳の容積がが三倍から四倍にもなり現在に至っている。象やイルカ等の鯨類は人間より大きな脳を持っているが、その脳は一千万年以上の時間をかけて巨大化したもので、人類のように短い期間で脳が三倍にもなった例は無い。これはおそらく文化社会的な進化と相乗してあるいは共振現象が起こって脳容積の増大が起こったからだと考えられる。

この事について問題を提起している学者や専門家もいる。

人類の進化は二足歩行や脳容積の増大等の身体的な進化の他に、文化社会的な進化を除いて語る事はできない。二足歩行によって自由になった前足で、様々な道具の制作や食料の運搬そして石や棍棒等の武器を使用する事など、文化社会的な進化が二足歩行とほぼ同時に起こっただろう。その頃の文化社会的な進化は脳容積の増大と並んで進み、八十万年前北京原人が火を使う能力を会得した。それによつて自分の意志で制御可能なエネルギーを得ることになった。それによって食料とするものの範囲を広げ、火そのものを武器とする事によって他の競争相手との生存競争に打ち勝ち、それまで狩られる立場にあった大型の肉食動物と対等くらいの生態的な地位に着いただろう。

さらに火を使用する事によって文化社会的な進化はさらに進んだだろう。そして言葉の使用や組織化と武器の改良によってライオンや虎などのねこ科の肉食動物をも凌駕し、人類はこの地上の優占種となり、熱帯から極北のツンドラ地帯さらに南極大陸以外の全ての大陸と、太平洋の孤島にまで進出していった。

人類の身体的な進化は私達の直接の祖先である、ホモサピエンスが二十万年前から五十万年前にアフリカで誕生すると共に頭打ちになった。この段階で人類の肉体的な進化は終わったと考えられる。

農耕と古代文明の誕生と滅亡

しかし文化社会的な進化は人間の身体的な進化から離れさらに進展し、氷河期が終わり間氷期の訪れから少し遅れて、中東地域において農耕と牧畜が開始される事になった。これは火の使用と共に人類史に残る出来事である。それは七千年前に始まる文明の歴史に直接に繋がる出来事なのです。

農耕文化の誕生と発展はチグリスユーフラテス川の流域において自然発生的に人類の最初の文明が誕生し、それはすぐ隣のナイル川流域でエジプト文明の誕生を促し、さらに同じように農耕社会が営まれていた、インダス川流域や黄河流域でもインダス文明や黄河文明が相次いで自然発生的に文明が誕生したのでした。

これらの事から推測できる事は、文明の誕生と発展は文化社会的な進化の枠の中で必然的に起こるもので、一定規模以上の農耕社会が誕生したとき社会が波動現象による共振現象を起こし文明が必然的に生まれ波及するのではないかと思われる。

それら世界の各地で栄えた古代文明が環境破壊や異民族の侵入やエネルギー危機によって衰退し滅亡しても、そこで誕生した知識や技術は文明の周辺地域で受け継がれ、新たな文明を生み出す事になった。中東地域で誕生した文明はその後にギリシャーローマ文明にさらにそれは西洋文明へと受け継がれそれはアメリカにおいて大量生産大量消費の物質文明となって大輪の花を咲かせる事になった。

文化社会的な進化は継続的に加速度的に進化する傾向があり、一部の文明社会が衰退する事があっても、人類社会全体としては知識も文化も継承されるので、螺旋階段を上るように行き着く所まで進化するのではないだろうか。

思想や宗教が文明の進化に大きな役割をはたした。

現在から二千五百年前東西に於いてほぼ同時期に偉大な思想家が現れている。中国では老子インドでは釈迦ギリシャではヘラクレトス等、この頃はギリシァでも東洋思想と同じく神秘主義的で科学と哲学と宗教は分離されていなかった。その後ギリシァでは神秘主義的な傾向を離れてゆき、そして西洋哲学の特徴の精神と体あるいは心と物質を分ける二元論へと進化し、その後の様々な西洋思想や科学の根源となった。

その他に人類の社会文化的な進化に大きな影響を与えて来たのは言うまでもなく宗教であり特にユダヤーキリスト教が現代の文明に与えた影響は極めて大きい。キリスト教誕生から中世までキリスト教そのものは科学的な発展を妨害する方向に動いていたが、一部の目覚めた知識人の好奇心まで押さえ込む事はできなかった。

西欧において様々な科学技術上の発見が成されたのはユダヤ教やキリスト教による影響の他にギリシャ文明の合理的精神を受け継ぐ社会的な土壌が存在した。ヨーロッパの社会における知的エリートは、この世に起こる様々な現象の中に唯一神たる神の意志を発見しようとしていたのである。

それが学問や科学技術上の様々な発見となり、それは工業技術の進歩にも波及する事になったのです。それは西欧の文明と社会進化に大きな影響を与え、人々に市民意識と合理主義的な精神を与える事になった。

十七世紀の哲学者デカルトは、心と物質という二つの領域における、分離分別に基づく世界観を築き、生命も様々な物質が集まって出来た巨大な機械として捉え、それを精神が動かしていると考えた。デカルトのこの機械論的世界観は、共振現象を起こし知識人から一般市民にまで波及しそのご西洋に科学技術の急激な発展をもたらす事になった。

それがアメリカ大陸の発見と相まって、ヨーロッパ社会全体をアジアやその他の社会より優位な社会に押し上げる事になったのでした。そしてスペイン等ヨーロッパ諸国はその圧倒的に優位な武器と技術によってアメリカ大陸やアジア、アフリカ諸国の征服にのりだした。

 

産業革命

それと平行するようにヨーロッパの本国での人口の増加と経済的な成長が、鉄や木材等の基礎的資材の需要の増加をもたらした。そのためイギリスをはじめ大陸諸国も森林は大部分消滅してしまったのでした。現在のヨーロッパ諸国の森林はすべて伐採されその後に生えて来た二次林です。

そのため経済活動が盛んだったイギリスなどは特に深刻なエネルギー危機に陥りった、しかしヨーロッパ諸国はいずれも石炭資源が豊富で、エネルギー源を木材から石炭への切り替える事ができた。さらにイギリス人のトーマス・セイヴァリーによって坑道の中の水を蒸気の力を利用して排水する排水ポンプが発明される事によって、新たな石炭の開発と増産を可能とし、その時のエネルギー危機を乗り越え新たな飛躍を開始する事になった。

たぶんこれを発明した本人はその時これから数世紀にわたって起こる、産業革命と細分すれば三次に渡る産業革命と社会進化のきっかけとなる事は予想していなかっただろう。

この石炭と蒸気機関との結びつきは産業と社会に革命的な変化を起こし始めた。人を重労働から解放し、馬に頼る物資輸送からから蒸気機関車へ、帆船から蒸気船に、さらにこの蒸気機関は織物工業や様々な分野の産業に利用される事になった。

イギリスを世界の工場とし、それは武器とその製造技術を洗練し発展させて、その武力を背景に植民地の獲得戦争に勝利し、日の暮れることのない大英帝国へと押し上げパックスブリタニカと呼ばれる一時代を築く事になった。

石油と自動車が生み出したアメリカの物質文明

第二次の社会進化の波の主役になったのは石油と自動車であった。石油そのものは中東地域で紀元前からその存在が知られており薬品などとして使用されていた。十九世紀半ばころからエドウィン・ドレイクによって石油の商業生産が始まったが、その初期には石油ランプなど照明用と薬品の製造に使われたが、石油は石炭と違って燃やしても灰を出さないし煙も少なく液体で扱いやすいために、その頃にドイツのベンツによって発明された内燃機関である自動車の燃料として使用され始め、自動車のの普及とともに徐々に石炭から石油に代換えされる事になった。十九世紀の終わりにエジソンによって水力や石炭や石油などの化石燃料を電気エネルギーに変換しそれを照明や動力として商業的に利用されるようになった。

二十世紀初頭にアメリカでフォードが自動車の生産に流れ作業を取り入れる事によって、一般市民を対称にした自動車の大量生産に乗り出した。自動車産業はそれまでのいかなる産業より関連する産業のすそ野が広く、様々な資材を大量に消費する。それが起爆剤となり様々な関連産業を興し発展させる事になった。これは一人の個人のアイデアが人類の文化社会進化を加速させる数少ない例の一つであります。

このシステムはやがてアメリカという国の、急速な経済成長と国民所得の増大をもたらし、それがまた新たな需要の増大をもたらし経済成長を加速するという経済的な革命を引き起こす事によって、世界で最初に大量生産と大量消費の物質文明を誕生させた国になったのです。

その事よってアメリカは短い期間で工業生産力でも科学技術力でもイギリスを追い抜き世界一の経済大国となった。アメリカはその圧倒的な工業生産力と経済力によって第一次世界大戦に参戦して戦勝国となり、その事によってそれまでのイギリスに変わって世界の覇権を握る事になった。

その後の第二次世界大戦にも参戦する事になった。第二次世界大戦は石油と内燃機関の戦いでこれらを生産する能力の優劣がこの戦争の勝敗を決定する事になった。アメリカは戦勝国となりその豊かな石油等の地下資源と、科学技術力と強大な軍事力と圧倒的な経済力を背景に、それまでのイギリスに変わり、世界の警察官あるいはパックスアメリカーナと呼ばれる時代に突入したのです。

その頃のアメリカの国民総生産は世界の半分を占めるまでになり、その国民はそれまでの何処の国も及ばない人類史上最も豊かな生活水準を享受するようになった。

その高い国民所得は世界で最初にモータリゼーション社会に突入した国となり、自動車等や耐久消費財の需要を増大させ、物資の輸送や国民の通勤や通学の足として自動車は急増していった。

自動車の一般市民への普及が起爆剤となったこの革命はあらゆる方面に影響を与え、都市の景観さえもそれまでとは明らかに違うものに変えてしまった。ニューヨークのマンハッタン島には巨大なモニュメントような摩天楼が次々に建設され、急増する自動車に対応し都市面積の三割にも及ぶ道路と、その他にも広大な面積を必要とする駐車スペースが必要になった。都市近郊の自動車専用道路の整備とともに、都市への通勤圏を徒歩や馬車に比べて著しく広大させた。そのため都市は限りなく膨張を開始しそれまでの都市面積の数倍から十倍にもおよぶ面積を必要とする様になった。

居住地域とオフィスが分離し都心部はスプロール化し、夜間は人が殆ど居ない様な状態になった。現在の先進国特にアメリカは車がないと、一日たりとも生活出来ない様な状態になっている。会社に行くのもそして大学へ通うにも、買物に行くにもすべて自動車が使われる、そのため一戸当たり数台の車を持っているのが、アメリカの平均的な家庭となっている。

五十年代にアメリカ政府は増大する自動車と物資輸送の需要に応えるため、全米各州と諸都市を結ぶ、ハイウエイ網の建設に乗り出した。それは石油と自動車が存在しなければ不可能な六万八千キロにも及ぶ大規模な土木事業であった。現在のアメリカ全土にはりめぐらされたハイウェイの総面積は、驚くべき事だが日本の本州の面積に匹敵する広さがあるという。

五十年代はまた中東の湾岸諸国で巨大な油田が次々に発見されたのでした。それまでの石油はかなり高価なもの戦時中の日本では石油の一滴は血の一滴と言う標語でも表されているように、アメリカ以外の国ではそれほど一般的に消費されているものではなかった。

それが大規模な油田の発見により石油の価格が下落したために、それまで世界のエネルギー源の大部分を石炭が占めていたのが短い期間でそれが逆転し石油と入れ替わる事になったのです。

その安く誰でも買える石油によって、アメリカをはじめ敗戦国のドイツや日本もその他の先進国も高度経済成長を開始し始めた黄金の六十年代でもあった。それに伴って先進各国とも国民所得の著しい増加もたらした。それがアメリカに続いて西欧各国がそして日本がモータリゼーション社会に突入する事になり、アメリカが歩んできた道をなぞるように自動車等の様々な大衆消費財の生産の拡大させと需要を飛躍的に伸ばし自動車関連産業をはじめ様々な産業を発展させる事になった。

自動車産業は航空機産業の発展をも促し運輸交通の多様化をもたらした。航空機の発達はそれまで船か鉄道によるしかなかった、遠距離や国際間の移動の時間的距離を一気に縮め、大量の人と物が地球的な規模で往来するようになった。石油というエネルギーの大量使用によって、世界の各国を網の目のような様々な関係で結び、この地球全体を一つの経済と文明にまとめあげ、人類の歴史上かってない豊かで壮大な現代の物質文明を築きあげたのだ。そして現在ではロケットやスペース・シャトルによって、人類の活動範囲は宇宙空間にまで広がっている。この大量生産と大量消費の化石燃料文明は、高度な技術を要する製品を、安い値段で大量に消費者に提供する事が出来るようになった。

トランジスタとコンピューターが起こした革命

ME革命

車と石油がもたらした社会進化の波は二十世紀になって幾つもの歴史に残るような発明と発見をもたらす事になった。西洋科学技術は、物質の極限の形からこの宇宙の果てまで認識出来るようになった。それまで絶対的な権威を持っていた、デカルトやュ-トンの機械論的な世界観によっては、説明出来ない事実が明らかになってきた。それを説明するアイシュタインの相対性理論や、ハイゼルベルクの不確定性原理や量子論等の誕生によって、最先端の物理学と東洋思想と奇妙な類似が発見されるに至った。一方では精緻な数学と粒子加速器によって、もう一方は瞑想によって同様の認識に到達したのであります。

アインシュタインの相対性原理やオッペンハイマーの核分裂の発見やハイゼルベルクの量子力学における発見は、核兵器など原子力の利用技術やトランジスタの発明やレーザーの発明に直接つながり、コンピューターのシステムは十九世紀始めにバベッジによって機械式のコンピューターが提案されていたのですが、本格的な発展と普及にはトランジスタの進化を待たねばなりませんでした。

これらの発明と技術的進歩は電気電子産業など、それまで存在しなかった新しい産業を次々に興し発展する事になり、様々な産業分野や人々の生活の隅々にまで根本から変える事になった。

トランジスターは1939年ベル研究所においてショックレー、バーデーン、グラッデンの三者によって発明されたが衝撃にも熱にも弱く不完全ものではあったが、製造技術の進歩発展ともにラジオやテレビにも使用されるにつれ電子産業が急速に発展する様になった。トランジスターはさらに進化し、数十から数百個のトランジスタを一つのシリコンチップに集積したIC(集積回路)が生産され始めるとともに、本格的にコンピュータに使用され始めた。まだコンピュータそのものは大きくて高価なもので政府や大企業においてコンピュータ専用の部屋で専門家だけが扱えるものであった。

トランジスタやICの微細加工技術の進歩と共に、ICは急速にその集積度が向上し、数千個のトランジスタを一つのシリコンチップ集積したLSI(大規模集積回路)や超LSIが生産され始めると、コンピューターが一つの半導体素子になったのです。これは歴史に残る革命的な出来事で、第三次の社会進化の波のきっかけとなったのです。

第三次の社会進化の波は、トランジスタとコンピュータが結びついて起こった革命でコンピューターが一つの半導体素子になった時に初めて可能になったのです。

これを正式にはマイクロプロセッサー、略してマイコンと呼ぶのですが、これらの半導体素子は産業の米とも呼ばれ、身の回りのパソコンはもちろん、炊飯器やテレビやビデオから工場の産業用ロボット、さらに航空機や軍事用や宇宙に至るまで、人々の見えない気がつかない所で使用されいる。現在はあまり使用されなくなったがME革命とはこの微細加工技術とトランジスタとコンピューターが結合し家庭や各種の産業分野に革命的な影響を与える事になった事をさしている。

マイコンなど半導体素子が組み込まれた機械は人間が作ったプログラムによって動いているのですが。それはあたかも機械が知能を持って仕事をしているかの様にも見える。

半導体製造技術の急速な進歩は、コンピュータの大きさを劇的に小型化し、そして高性能化し値段も誰もが買えるものとした。大企業では一人に一台持つのが普通となり、アメリカでは一般家庭でも普及率が三十%を越えている。

IT革命

そして千九百九十年代になると情報技術が格段に進展しコンピュータと通信が結びつき、インターネットの普及により世界中のコンピュータが網のようなネットワークでつながり、家庭に居ながらにして仕事をする在宅勤務や、様々な商取引や映像や音声や様々なデーターのやりとりが、コンピュータを通して行えるマルチメディアの電子のネットワーク社会が誕生した。そしてパソコンは近い将来にはテレビや電話等と融合し、一人に一台以上持つのが普通の状態になり、学習も仕事も大部分がその端末を通じて行われる様になる。

産業革命以後から現在に至るまでの、大量生産と消費を美徳する物質文明の社会で、社会は極度に細分化され専門化され、地球的なな規模でのネットワークと経済活動とコンピュータによる高度情法化社会が社会進化の最終的な姿です。事象は極限まで行くと逆方向への力が働く。文明の運動方向は分離分別の進む方向へ動かす力が働いて来た。極限まで来た現在これから逆方向への力が働き新たな社会進化が始まる。

ME革命及びIT革命の進展によって失業が継続的に増加する社会になる

かって世界最大の鉄鋼メーカーだった、US・スチール社は作業工程のコンピュータ化により、生産量を落とさず十二万人もいた従業員をその六分の一の二万人にまで劇的に削減する事に成功した。現在日本の自動車産業では塗装や溶接等に広く産業用ロボットが使用されており、それが全工程の三割から五割にも及ぶという。

コンピュータと工場の機械が結びついた、メカトロニクス革命はブルーカラー労働者を職場から追い出し、工場は自動化し無人化した。機械の中に組み込まれたマイコン等の半導体素子は、長年の経験と高度な熟練が必要だった、機械の操作を誰でもできるもの変えてしまった。それまで熟練工の持っていた高度な技能や知識や経験はコンピュータの管理者やプログラマーのものとなり、熟練工を不要なものにしてしまったのです。

銀行や商社の事務職など定型作業ではその仕事の多くがコンピュータによって駆逐されてしまった。そのため我が国の女性の新卒者への求人が大幅に減少し就職氷河期と言われるほど厳しい状態になっている。管理部門においても中間管理職が不要になりつつあり、ピラミッド型の組織が崩れつつある。

これまでの社会進化の波は一貫して労働力を減らす方向に動いて来たのだが、企業の省力化による労働者の減少より新たな雇用の創出力の方が大きかったので景気の波が有るにせよ、雇用不安が問題化する事はなかったが、黒いムカデのようなシリコンチップが起こした革命は、あらゆる職場から人間を追い出そうとしているのです。そのため先進各国ではいずれも雇用不安が起きており、これまで完全雇用に近かった日本でもバブルの崩壊と共に失業率は九十六年に三.五パーセント二千年には4.6パーセントになり一貫した増大傾向が見られる。

開発途上国での失業率は、東アジア諸国をのぞいてこれよりはるかに深刻である。そして失業が継続的に増大する様な社会の中で、職はあってもパートの仕事が殆どで収入の増加に結びつかず、貧富の格差は拡大し、一部のエリートにだけその富が集中しはじめている。いま世界のどこの国でも都市で治安が悪化し犯罪が激増しているのは、失業の増加と無関係ではない。現代の物質文明は、あらゆる方面でいき詰まりを見せつつある。これはこれまで順調だった、文化社会的な進化そのものが行き詰まりつつある事を物語っているのではないだろうか。そして私達は経済のシステムと労働そのものの概念をも、問い直すべき時期に来ているのではなかろうか。ロシアにおける共産主義革命は、この問いへの一つの解答であったが、暴力的な性格の一世紀は早すぎる革命だっため、資本主義との競争で敗退し貴重な実験は失敗に終わりソ連は崩壊してしまった。これがもしシリコンチップが起こしたME革命以後に起きたのだとしたら、おそらく別の展開をたどる事になっただろう。

石油は文明にとって麻薬のような物質

人類誕生以来数百万年そして文明誕生から七千年の年月が経過し、その間に幾つもの文明の盛衰とさらに多くの国家と民族の興亡があったが、これ迄人類全体としてはほぼ順風満風中を生きて来たと言えるだろう。

これ迄人口も少なく人間が環境に与える影響もそれ程大きくなく、自然の許容し得る範囲内の活動だった、それで過去の古代文明の発祥地のように人間が自然の復元力を越えて自然を破壊し、人が住む事が出来ない不毛の荒野や砂漠になっても、まだ未開の土地が十分に残っており人々は移り住む事が出来た。

しかし十七世紀から始まる化石燃料文明は、世界的な人口の爆発的な急増をもたらす事になった。人間の活動がその地球的な規模のものとなり、環境全体に与える影響がが極めて大きなものとなり、人類にとってはこの地球でさえも小さすぎる存在になってしまったのだ。環境の激変に弱いのは限度を越えて大きくなり過ぎ、あるいは特殊化し過ぎたた者に最も大きな影響が来るのは、都市においても文明においても生命においても変わるものではない。

快適さや便利さあるいは快楽を求めれば必ずその後に重いつけを払わねばなりません。求める快楽が大きければ大きい程、その反対となる代償もまた大きいのです。この世で起る如何なる現象にも行きすぎには、必ずその反動となる現象が有るものです。そのために恐竜は絶滅する事になったし、古代文明は滅んだのだのもそのためです。どちらか一方だけを取る事は出来ない相談です。美味しい楽しいものをとれば不味い者不快なものも同時についてくる。人類にとって石油は麻薬みたいな物です。石油はとても便利で一旦使い始めたら止める事が出来ない、それが無くなったら強烈な禁断症状がでる。まさに麻薬ではないですか。

石油等の化石燃料の枯渇とともに世界のメガロポリスは廃墟になる。

二十一世紀の中頃から東京やニューヨーク等世界のメガロポリスはエネルギーや資源の不足で都市機能は麻痺し放棄せざるを得なくなるかもしれない。

戦時中には我国に石油の一滴は血の一滴という標語が有ったが、それは現在に於いても言える事なのです。現在の都市のと文明の形態は、自動車と石油エネルギーの変形である電気エネルギーが無くては、人間の生命を維持する事すら難しいのです。そして石油や天然ガス等の化石燃料の枯渇と共に、取り壊す資金もなく放置されるハイウエイと世界の大都市のほとんどは、これまでに無い壮大な廃墟となるだろう。

私達が遠い昔に栄えた文明の遺跡を前にたたずむ時、その歴史の目撃者として様々な思いや感傷が浮かぶものだが、私達が産み出す事になるこの壮大な廃墟は、誰にも見られる事も無く、その歴史の教訓を残す必要も無い、天空に向かって空虚にそびえ立つ遺跡の群れとなるのかもしれない。

現代文明の構造物の根幹を構成するコンクリートは七十年しか寿命がない。雨水にさらされ石灰分が水に流されると脆くなり崩壊するのだ。あのハイウエイ建設から四十余年全米にはりめぐらされた、ハイウエイは至る所で崩れ穴を開けている、もはや修理することは出来ず、新しく作り直すしか手がないという。しかしその老巧化して来たハイウェイは、補修し作り治す資金もなくそのまま放置される所が各地において見られるようになって来た。

ニューヨークの摩天楼も老巧化しとり壊すしかないのだが、周りに色々なものがあるため危険でとり壊すことも出来ない。これらの摩天楼はいずれ廃墟になり、朽ち果て自然に倒壊するのを待つしかないのかもしれない。香港やシンガポール等の今東アジア諸国の都市には車が溢れ、三十年代のアメリカの様に超高層ビルが林立し始めている。化石燃料の枯渇共に機能しなくなる様な都市を大急ぎで建設している。

日本でも二十一世紀までに戦後建てたビルのほとんどが老巧化する。その建て替えに都心にニューヨークみたいな巨大な超高層ビルを建てたり、東京湾を埋め立てる計画が有ったが、そのような投資は無意味で馬鹿げた投資です。この様に便利で安い石油は世界の諸都市を貴重な資源とエネルギーを浪費し続けなければ成り立たない都市に作り変えてしまったのです。一棟一千億もの金を出して資源を浪費し都市の過密化による様々な弊害を残し挙げ句に償却も出来ず不良債権化する。

やがてエネルギーのと資源の不足で都市機能は麻痺し、これらのビル老巧化しても危険で壊す事も出来ない。ただバカでかい摩天楼を何十本も建てて、二一世紀都市だ、ウォーターフロントだ等と、騒いでそのあげくに不良債権に悩まされている。

それを国民の血税で尻拭いをすると言うのだから噴飯ものだ。後数十年もすればエネルギーや資源の極端な不足でこれらの都市と巨大な建造物は機能しなくなる。そしてここ数百年のうちに東南極大陸の氷床の崩壊の可能性が指摘されており、そうなば海岸の都市と全ての工業施設は海中に没するだろう。それだけの資源と資本とが有れば、開発途上の国であれば数千万以上の人々が、半永久的に生存し続ける事が出来る、コミニティを建設する事が出来るだろう。

化石燃料の使用によって環境は破壊され自然に還らない物質をまき散らした。

この大量生産と大量消費の化石燃料文明は、高度な技術を要する製品を、安い値段で大量に消費者に提供し、同時にそれまでどこの社会にも存在した、自給自足的な質素で物を大事にする伝統的習慣を捨てさせ、消費こそ美徳という、使い捨て社会を誕生させた。

また人々は物を造り続け、それと同時にその造った物を廃棄し、あるいは壊し続け、貴重なエネルギー源である石油を無駄に使い続け、そして自然を破壊し汚染させ続け自分自身と子孫が生きる為の環境を破壊し続けなければ人々は生きて行けない。その様な経済システムに変えてしまったのです。そのためにどこの国の都市でも、それまででは考えられない程の量の大量のゴミと、そのままでは自然帰らない、石油化学製品で出来た大量の廃棄物で海や湖や川を汚染させ溢れさせのです。また各種産業のだす産業廃棄物は、海や湖や川を汚染しヘドロで埋め尽くし、各種の生物を激減させ絶滅させ、人にもそれらの汚染物質による各種の公害病を発生させたのです。

また世界中で数億台にも達する自動車と火力発電所や工場やビルや家庭における石油や石炭といった、化石燃料の大量使用は窒素酸化物や亜硫酸ガスといった大気汚染物質を生成し、それが様々な過程を経て植物に有害なオゾンや、硫酸や硝酸を含んだ酸性雨となって地上に降り、斧や鋤で破壊するよりはるかに早い速度で、西ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアなど、中央ヨーロッパの森林を蝕み枯死させ、絵はがきにもなるほど美しかった山林を不気味な骸骨のような林に変えてしまった。またその程度に差はあるものの日本の松枯れやアメリカ東部においてすでに酸性雨による森林の枯死が広く見られる。

この樹木の枯死は、それが人の目に付くようになってからでは手遅れなのです。そしてこれらの森林破壊の行なわれた場所では再植林されても苗木は育たない。

石油は二十一世紀には確実に枯渇する資源

NISE諸国ASEAN諸国や中国等の東アジア諸国の、急速な経済成長共に急激な石油の需要増大によって石油は短い期間で枯渇する。現在は先進国に於いては需要は伸び悩でおりますが、世界の石油需給状況はだぶつき気味で価格も低迷していますが、インド及び東アジア諸国の急激な経済成長と共に、此等の諸国では石油の需要は急増しています。中国は間もなく九十三年からそれまでの石油の輸出国から石油輸入国に転落する事になった。中国の一人当たりの石油の消費量は我国の二五分の一、そしてアメリカの五十分の一にしか過ぎませんが、この国がフィリッピン並みに石油の消費をするなら、現在の日本と同じ量の石油が必要になります。また隣の韓国並みに石油を消費するなら現在のアメリカの石油の需要と同じだけの量が必要になります。このようにアジア諸国の経済の急成長が続くなら世界の資源を、たちまち食い潰してしまう事になるかも知れない。

そして二一世紀も半ばになれば石油を輸出する事が出来る国は極僅かの国になるはずです。石油の代替品としての石炭にも、そして原子力発電にも、その排出ガスによる環境破壊と炭酸ガスによる温室効果とそして放射性廃棄物により、その使用には自ずから限界がある。二一世紀はアジア・太平洋の時代と言われているが、そのような事は幻想でしかないだろう。現在の西洋的な価値観と化石燃料文明の延長線上で、現在の先進国そしてアジア太平洋諸国と、そしてその他の開発途上国の二一世紀を語る事は出来ない。エネルギーと資源からの物理的な制約が有るからです。

その事を無視して現在の先進諸国のような社会の建設を目指すなら、その繁栄は油上の楼閣となって石油の枯渇と共に消滅し、後に残るのは壮大な廃墟と岩だらけの不毛の荒野と塩の砂漠だけになるだろう。中近東やインダス川流域で見られる遺跡は、我々の住む現在の都市の、未来の姿を暗示している事を深く認識すべきだ。

現在の高度に進んだ化学技術と、極端なエネルギーの浪費社会でもある現代の化石燃料文明は、そのエネルギーの不足の影響を、最も敏感に大きく受ける社会でもある。後数十年もすれば各種の資源と石油エネルギーの不足は、この文明に対して致命的影響となって現われるだろう。それに対して最も弱い先進国が、我国であるのは言うまでもない。石油が残り少なくなった時、中東の産油国は最初に石油の供給を止める国は、神を信じず人種的にも心理的にも歴史的に距離のある我国になるのは確実なのです。世界に頼る国も仲間もいない我が民族は、重い十字架を背負い苦難の道を歩まねばならなくなるだろう。

今は需給がだぶつき気味で石油価格は低迷し買い手市場の状態が続いているが、将来も金が有れば幾らでも石油は買えると考えるのは大きな誤りです。現在の我国の繁栄はその豊かな石油エネルギーがあっての繁栄なのです。我国の繁栄は石油の枯渇と共に油上の楼閣となって極短い間で潰え去るでしょう。世界的な規模の人や物資の移動も自由な企業と市場経済も、過去から未来に渡る人類の歴史から見れば、ほんの一瞬の出来事でしかないだろう。このような事が存在できる事そのものが奇跡的な出来事なのである。現在の形態の文明は過去に栄えた如何なる文明より短命に終わる事になるだろう。

もう石油はもう残り少なく、二一世紀にはまちがいなく枯渇してしまう貴重な資源。二一世紀にはその石油の代わりに風力発電や太陽電池が十分成熟するまでしばらくは天然ガスが世界のエネルギー源の主役をつとめる事になるだろう。原子力は本命とはならないだろう。その後のエネルギーは水素による社会に移行してゆくと考えられる。しかし二一世紀の中頃には人類は百億人に達するこれらの国と人々がすべて緩やかにエネルギー源の移行を達成するとは考えにくい。必ず移行に伴うギャップがあり社会的な混乱はさけられないだろう。私達が手を拱いたまま、何もせず二一世紀を迎えるとしたら、私達は石油の枯渇とともに、この石油文明の申し子とも言える自動車は手に余る祖大ゴミとなり自動車に慣れ親しんで来た人々は、通勤にも買物にも極めて不便な思いをする事になるだろう。

工場も電車も極限られた時間しか動かす事も出来ず、都心のオフィスに通う事も出来ず大量の失業者と、四人に一人の割合にものぼる老人を抱え、政府は身動きも出来なくなるだろう。石油の不足は物資の生産や輸送に重大な支障を来し、あらゆる生活物資が不足して来る。やがて全ての店先からあらゆる品物が不足し無くなり、そして人々は都市を放棄せざるを得なくなる。そして数え切れない程の餓死者を出す事になるだろう。世界は限られたエネルギー源や食料を巡ってそれこそ血みどろの争いが起り、世界の各地で戦争が起るだろう。その混乱の中で核兵器さえも使用されるかも知れない。二一世紀は大規模な民族移動と私達の想像を越えた大動乱の世紀となるだろう。どれほどの国や人々がその中で生き残る事が出来るだろうか。

この様になる事は誰も望まないでしょう。しかし現在の社会システムを変える事が出来ないなら、間違いなく祖先が犯した同じ過ちを、また繰り返す事になるだろう。これ等の地域の持続的な発展と人類と、この地球全体の生命の為には、これまでと違った社会と経済と教育の概念が必要になる。経済的な成長が無くてもあるいはマイナス成長であったとしても失業も発生せず所得も減少しない。そして食料もエネルギーも外部に依存する必要もない。見掛け上、半永久的に持続する都市と構造物の建造や、様々な消費物質の製作は、現在の技術でも十分可能です。しかし文明の形態がそれをする事を許さないのです。

しかしここに人類が生き続け、経済のシステムを転換し資源の枯渇と自然がこれ以上に破壊されるのを防ぐ、新しい文明の在り方へのキーポイントがあります。文明の本質的な欠陥もそこで使用される物質の完全なリサイクルをする事で現在の文明の本質的な欠陥を無くす事が可能であり、このような形態の新しい文明の建設が必要になる。先進国も開発途上国も、私の提唱するエネルギーをほとんど使用しない社会への転換を、直ちに実行しなくてはならないでしょう。その社会への転換に失敗したらインドや中国等の巨大な人口を抱えた国はもちろん、先進国も開発途上国も例外無く未来は悲惨なものとなる。それにこの地球の生命と人類の運命がかかっているのです。

脱化石燃料社会のエネルギー

都市を維持するにも文明を維持するにもエネルギーが無くては不可能である。化石燃料が枯渇した時、我々は何のエネルギーを使用して、社会と文明を維持すべきだろうか。一昔前まで太陽電地はコストが高く、未来のエネルキーの主流となり得ないとの意見が一般的であった。発電効率ではもう実用化の域に十分到達している、しかしコストが高くまだ一般に普及するに至っていない。化石燃料の場合一度使えば二度とエネルギーを取り出す事は出来ないが、太陽電地は数年から数十年かけて、そのコストとエネルギー収支のバランスを取るべき種類の電源であると考えている。

もし太陽電地の寿命が有限でその範囲でエネルギー収支のバランスを取れないなら、採用すべきではないが、太陽電地は原理的には半永久的に保つはずだから、コストは高くてもエネルギー収率は原子力発電よりは高いと考えている。

また化石燃料はその持つエネルギーを開放したらそれで終わりとなる。一度使ったら二度と使用する事は出来ない。原子力発電に於いても高速増殖炉が技術的に完成しないぎり、化石燃料と変わらない。そしてその高速増殖炉もまだ技術的に完成しておらず、一旦大事故が起これば数万年にわたってその影響は残る。後の世代にその負担を背負わせる事は許される事ではない。

しかし化石燃料の持つそのエネルギーを、太陽電地に変える事によって、そのエネルギーを半永久的な物に変換し長い目で見れば元のエネルギーより、悠かに大きいエネルギーを取り出す事も可能である。もう我々に残された時間は余り無い。現在有る化石燃料を可能な限り太陽電地原料に変え貯蔵しておくべきである。

また風力や波力等、利用可能な全てのエネルギー資源を利用する事になるだろう。特に風力による発電は騒音や立地における問題はあるものの発電コスト低く、太陽電池と共に再生可能なエネルギー源で現在でも経済的に自立可能なエネルギー源である。これらの自然に存在するエネルギーは、その密度が希薄で質の悪いのが普通であるが、これらのエネルギーは常に商業用に利用するには無理でも、利用の仕方によっては有効に利用出来る。

これらのエネルギーは人口密度の希薄な国やエネルギー輸送の設備の不十分な開発途上国において普及がはかられるべきで、環境破壊を防ぐ意味合いからも国際的な援助が必要になるだろう。これらの資源を利用する為には、様々な設備を建造しなければならなくなるが、此等の設備を建造するに当たって、常に建造の為のコストよりエネルギー収率の方を重視して建造されるべきだ。これによって開発可能な資源の範囲は拡大され、エネルギーや資源の枯渇の問題や環境破壊の問題も解決する事も出来るだろう。


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